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『 自治体・首長・政治家・議会と政策 』

 『自治体・首長・政治家・議会と政策』は、宮城県議会議員相沢みつやが、宮城県政のホットな話題を中心に、政治・行政の仕組みや首長・政治家の権限と責任、そして県民生活に密着する政策について、分かりやすく解説した読みものです。相沢みつやの日頃考えている事や、政治家としての提案や理想についても触れておりますので、「相沢みつやのエッセンス」が詰まった本書を、ぜひお読み下さい。

宮城県議会議員 相沢 光哉



* 目次 *

一 熱のさめた首都機能移転
二 難しく、悩ましい平成一六年二月議会
三 自治体の政策形成機能と行政評価
四 「中核施設」「緊急再生戦略」の政策選択
五 選挙で選ばれる政治家の権限と責任
六 政策形成と議会の役割
七 万物の流れの中での政策

 一 熱のさめた首都機能移転

 少し古い話で恐縮だが、わが国の首都機能移転が大きな注目を浴びていた時期、確か平成8年(1996年)の七月だったと思うが、世界の先進首都調査の一つにアメリカ合衆国のワシントンD・Cを選び、訪問したことがある。個人の立場ではなく、所属する自由民主党宮城県連が派遣した調査団の一人として参加したのだが、訪問先の一つであったブルッキングス研究所(アメリカを代表するシンクタンク)の理事長であったM・アマコスト氏のインタビューでの発言が、今でも印象深く記憶に残っている。ご存知の方が多いと思うが、アマコスト氏はアメリカ合衆国駐日大使をつとめたことのある知日家である(注1)。
 会見の席上、私たちが、首都機能移転が日本の大きな政治課題になっていること、計画通りに進めば2010年には新首都で国会が開かれる予定と伝えたところ、アマコスト氏は日本語ではっきり「信ジラレナイネ」と叫んだ。そして、「駐日大使としての経験から見て、日本では政治家より官僚が政治力の中心にいる。首都機能移転という政策決定も官僚が支配し、結局は大蔵省(現、財務省)が決定権を握るだろう。そうすれば、お金のかかる話だから(当時約14兆円と言われていた)、移転するよりも東京に残った方が絶対に安上がりとなりますね」とその論拠を英語で説明し、いたずらっぽく笑ったのである。
 今日、首都機能移転は政策アイテムとしての重要性をほとんど失ってしまっている。政府も国会も、完全に旗を降ろしたわけではないが、体良く自然死を待っているだけだ。小泉首相も、約650億円を費やした永田町の新しい首相官邸にどっかり腰をすえている。こうして見ると、かつての衆参両院における国会決議、改正法を含め二度にわたる「国会等の移転に関する法律」の制定、著名人が名前を連ねた「国会等移転審議会」の存在などは、一体何だったのかと思うし、その壮大なムダと虚構にあきれ果ててしまう。
 本県も、移転先候補地の一つとして宮城県南部を抱え、長い間官民挙げて熱心に運動を進めてきたが、候補地選定に洩れたこと自体はまぁやむを得なかったともいえる。しかし、審議会が東西2ヶ所を選定するという、予想されていたとはいえ茶番劇の答申以来、首都機能移転はまるで憑きものが落ちたように人々の関心の的から外れ、誰1人東京から首都が移転することなど考えてもいないような状況が作られてしまっている。問題の先送りが、政策策定の責任と、膨大な時間やカネの浪費を、誰も咎めない構造にしてしまう。関係者のメンツもつぶせない。いかにも日本的な風景である。
 ひるがえって、アマコスト氏の「予言」はほぼ的中したといえる。官僚の関与がどれほどのものだったのか、表面的にはわからないが、たとえば審議会答申案づくりに果たす官僚の役割ははかり知れない。特に中央省庁の高級官僚ほど、あとを残さず、シナリオ通りに運ぶことはまさに得意技だろうから。
 また、アマコスト氏からは、次のようなアドバイスがあった。
「民主主義国家である以上、国家的な重要政策の決断は、選挙で選ばれる政治家が行うべきだ。」
 アマコスト氏は、今日の日米協調路線より一時代前の、日米貿易摩擦やグローバル化に向けた規制緩和での、タフな日米交渉の当事者であった。そういう、氏ならではの述壊ともとれるし、政治家優位のアメリカ政治思想として当然の言辞でもあろう。この論点は、政策を論ずるうえで大切な示唆を含んでいるので、のちにまた改めて触れてみたい。

(注1)1989-1993年 アメリカ合衆国駐日特命全権大使。東北高校の五十嵐理事長とは父君の時代からの親交がある。



* 目次 *

一 熱のさめた首都機能移転
二 難しく、悩ましい平成一六年二月議会
三 自治体の政策形成機能と行政評価
四 「中核施設」「緊急再生戦略」の政策選択
五 選挙で選ばれる政治家の権限と責任
六 政策形成と議会の役割
七 万物の流れの中での政策

 二 難しく、悩ましい平成一六年二月議会

 本県の「行政活動の評価に関する条例」(平成13年12月制定)の中で、「政策」等の用語の意義を次のように定めている。

  1. 政策 県の行政運営における特定の目的を実現するための基本的な方針をいう。
  2. 施策 政策を実現するための個々の具体的な方針をいう。
  3. 事業 施策を実現するための手段として実施される個々の行動活動をいう。

(以下 略)

 これらの認識に立って、最近の宮城県の政策を概観してみると、「保健医療福祉中核施設整備事業計画」の中止決定と、「緊急経済産業再生戦略」の財源に県職員の給与をカットして当てるという政策選択が、「突出して特異な事例」となっていることが窺える。ともに議会で大きな問題となって県民の関心も高く、特に後者は、平成16年2月議会の直前という現時点では、どのような展開になるのか予想がつかない(注2-1)。
 「保健医療福祉中核施設整備事業計画」は、本間前知事時代に基本構想が策定された。浅野知事誕生後の平成6年に、居住型大規模福祉施設への疑問などから見直しが行われ、その後財政難や運営主体の未決定などの理由から平成15年まで事業凍結となり、ようやく凍結解除と期待されてきた平成15年11月、地元三本木町や関係諸団体との事前協議もないまま、一方的に事業中止が決定された。11月議会での中止撤回を求める請願書の採択や、特別委員会の設置は、県内世論のマジョリティ(多数意見)を反映する動きととらえることができよう。
 一方、「緊急経済産業再生戦略」は、長引くデフレ不況に苦しむ、県内の地域経済の再生を目指し、即効性のある雇用対策や、中小企業の基盤強化など挙県一致体制で取り組もうとする知事主導型のプロジェクトで、平成15年9月より、二年半の期間に521億円の事業規模(その後614億円に増額された)を想定している。問題はその財源の確保で、知事は、財政再建と景気回復の二兎を得る戦略上(注2-2)、財源の一部を県職員約3万名の給料削減(当初5%削減から3.2%削減に縮減)に求めることを表明、労使交渉がねばり強く重ねられたが、結局合意に至らず、労使決裂のまま条例案が2月議会に提案されるに至った。
 この案件を単純化して考えると、緊急再生は事業の「目的」であり、給与カットは「手段」である。事業の中身については色々と意見もあるが、「目的」に反対する人はいないはずだ。問題は「手段」で、県民の反応は賛否真二つに分かれている。労使が決裂、県民世論が拮抗している条例案を議会が審議することは、大変難しいし、悩ましい。
 さきの「保険医療福祉中核施設整備事業計画」と合わせ「緊急経済産業再生戦略」が「突出して特異な事例」と述べたのは、それぞれの政策形成・政策評価・政策決定において独特の形態をとっているからに他ならない。ここではその指摘にとどめ、あとで詳しく論じたいと思う。

(注2-1)2月議会では結局職員給与カットにかかる「知事等及び職員の給与の特例に関する条例」の附則に「施行後1年以内に、財源を職員給与の削減以外に求めることを含め検討を行い、所要の措置を講ずる」旨を加え、修正可決した。

(注2-2)ことわざでは「二兎を追う者一兎も得ず」だが、経済分野では東京大学教授神野直彦氏の「二兎を追い、二兎を得る」政策が知られている。



* 目次 *

一 熱のさめた首都機能移転
二 難しく、悩ましい平成一六年二月議会
三 自治体の政策形成機能と行政評価
四 「中核施設」「緊急再生戦略」の政策選択
五 選挙で選ばれる政治家の権限と責任
六 政策形成と議会の役割
七 万物の流れの中での政策

 三 自治体の政策形成機能と行政評価

 政策に限らず、役所の仕事を可能にし、かつ制約しているのは、基本的に法律・予算・制度の三つである。
 地方自治体に関していえば、次に述べるような流れが定番といっていい。
 住民や地域の行政ニーズ、時代がつくり出す行政目的、地方自治の民主主義に不可欠なプロセスである選挙によって選ばれる首長の公約・方針、議員の政策要望などをベースに、基本構想・長期計画・○○プランがつくられる。これをオーソライズするために時に第三者機関による諮問・答申という方法が加味される。政策執行上必要があれば条例や要綱がつくられ、予算配分が執行部で決められ、議会の承認(議決)を得て実行に移される。予算が適正につかわれたのかチェックは議会と内部監査制度が当たるが、近年、より効率性や透明性が求められ包括外部監査が制度化されてきている。国との関係においても、交付税や補助金などの国・地方間の財政上の問題や国直轄事業、機関委任事務(注3-1)などにおいても、すべて法律・予算・制度がからむ。
 また、いわゆる「お役所仕事」といわれるように、行政組織はタテ(省庁別、国との関係、上層部から一般職員)、ヨコ(部局間、組織間、対議会)、ウチソト(市町村、外郭団体、民間)の全てにわたって定型化された手順手続が必要だから、正確・無謬・着実が非能率・ムダ・無責任と批判を浴びることも多くなる。
 政策は、今まで述べてきた自治体の仕事の流れや、首長から一般職員まで、また議会を含めた全ての関係者と結びつきを持ち、かつ日本的な役所の体質と深く関わっている。そして当然のことながら政策の対象は、自治体のテリトリー内の住民、地域、産業と、教育・文化・福祉といった各カテゴリー分野の行政需要に対してである。
 政策の送り手と受け手とも時間の経過とともにどんどん変化していくから、政策をタイプ別に考えると、@調和・継続型=現状の行政需要の延長線上に将来の行政需要を予測し政策を立てる、Aモデル・先取り型=現状を改革し刺激を与える政策を立てる、B革新・見直し型=現状の問題点が多いため、全く新たな考え方や手法の政策を立てる。C廃止・終了型=行政環境の不適合や政策の陳腐化により中止、休止する、の四つに分類されるといわれている。
 問題は、政策形成の段階で、いまどのタイプの政策を選択すべきかの判断や決断を、誰が、どういう形でするのか、という点にある。常識的に最終決断は首長とした場合でも、努めて正しい状況判断を下すための分析・評価・予測は誰が、どのような場で行うのかという問題が生じるであろう。
 このようなことから、最近よく聞かれるようになったのが「自治体の政策形成機能」という言葉である。これは「行政環境に伴って変化する将来の行政需要を予測し、住民や地域に密着した政策の形成・企画・立案機能」と定義づけられるが、政策形成機能がクローズアップされるようになったのは行政評価の高まりからである。
 つまり、さきに述べたように、いわゆる「お役所仕事」は確たる政策目標がない、コスト意識がない、計画性に乏しい、失敗しても責任を取らないなど、非能率・ムダ・無責任と指摘される面が多く、これらを是正する必要性が高まった。特に、行政改革、財政再建、地方分権、市町村合併、規制緩和、情報公開といった時代の波が、公平性、効率性、透明性をより求めるようになり、行政に民間の経営手法を導入することが当然視されてきた。
 行政評価はその有力な手法であり、また選挙の際のマニフェスト(公約)もこれらに相呼応するものと位置づけることができる。
 ともあれ、行政評価が政策の効果や問題点などを評価するシステムであり、必然的に後続の政策形成に反映されなければ意味がない。本県の行政評価は、県民参加の県行政評価委員会の設置や大規模事業評価への取組みなど、他見にくらべ先進性が評価され、また近くは岩手県、福岡県など六県と三菱総研など民間企業四社と共同で、行政評価の第三者機関を設立することを検討するなど、極めて積極的である。これらは大変結構なことだが、あえて私見としていえば、行政評価にしろマニフェストにしろ、また国が進めている構造改革のグローバル化にしろ、枠組みと数値を絶対視するあまり、対象物を構成している地域なり企業・団体なり官民組織なりの生身の人間の人格や人間性、生活実態といった面に対する配慮が希薄になっていることを、憂慮するのである。
 その昔、仁徳天皇(注3-2)は難波の都で民家の竈の煙で治世の良し悪しを判断したという故事が伝えられている。情報化社会の今日であっても、忘れてはならない政治感覚の一つではなかろうか。

(注3-1)平成12年の地方分権推進一括法の成立により、機関委任事務は廃止され、法定受託事務と自治事務になった。

(注3-2)生没年不詳。第十六代天皇。応神天皇の皇子。日本最大の前方後円墳(堺市)に葬られていることで知られる。



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一 熱のさめた首都機能移転
二 難しく、悩ましい平成一六年二月議会
三 自治体の政策形成機能と行政評価
四 「中核施設」「緊急再生戦略」の政策選択
五 選挙で選ばれる政治家の権限と責任
六 政策形成と議会の役割
七 万物の流れの中での政策

 四 「中核施設」「緊急再生戦略」の政策選択

 これまで、政策形成機能に関して述べてきたが、さきに挙げた「保険医療福祉中核施設整備事業計画」にしろ、「緊急経済産業再生戦略」にしろ、今日、本県の重要政策課題の帰趨は、つまるところ予算の手当てが難しいという財源上の制約が重い条件となっている。
 そして、財源上の制約から中止決定をやむを得ないとする政策選択や、県職員の給料削減に求めるという破天荒な政策選択も、浅野知事のトップダウンであると同時に、ともに直接の相手当事者である三本木町や県職員代表(職員労働組合)には、事前の説明や説得を一切しないという手法をとった点が共通している。
 また、逼迫した財政状況という点であるが、確かに国・地方財政の三位一体改革の影響で、平成16年度当初で約320億円の歳入不足となり、財政調整四基金190億円の取り崩しや、赤字県債(財政健全化債)130億円の発行など、緊迫度が増してはいる。しかし、予想される税収増や、将来の交付税措置が見込まれる地域再生事業債や臨時財政対策債の追加も十分可能性があり、四基金への戻し入れも視野に入れてよいと思う(注4-1)。
 つまり「緊急再生戦略」では、給料削減という手法しか策がないのか、もっと発想の転換を図るとともに、財源の手当てを精査すべきではないだろうか。この稿が掲載される「みやぎ政策の風」創刊号の発刊以前に2月議会は閉会しているはずなので、何とも記述が難しいが、昨年5月16日の知事発表以来の経過をふり返ってみても、どうも県職員の給料削減は「手段」ではなく、むしろ「目的」に近い形で知事の脳裏にあったのではないかと邪推したくなる。
 デフレ不況に苦しむ中小零細企業の声として、倒産も失業もない公務員の恵まれた待遇や給与水準から、今回の知事の措置に賛同する人々が多いのは事実だが、官民格差の是正をするのであれば、人事委員会勧告のルールに基づくか、多大な苦労とは思うがやはり労使の合意形成によって実施すべきではないだろうか。
 「中核施設」についても、議会で再三議論されているように、見直し・凍結・中止に到る約10年間の不作為は何だったのだろうか、県リハビリテーション支援センター設置の重要性はどうするのか、地元町はもとより関係団体や議会との誠意ある協議を放棄し、なぜ慌ただしく一ヶ月で三回の政策・財政会議で中止の結論になったのかなど、不審点は数多くある。また、一方的な通告によって県と市町村との信頼関係を完全に損なっている反面、請願採択や議会の特別委員会設置という展開に、あわてて(?)三本木用地の新たな土地利用計画の検討に臨む姿勢を見せるなど、本件に関する対応に一貫性がない。なぜもっと相手側の立場に立った配慮がなされなかったのか、疑問を感じざるを得ない。さらにいえば、建設推進を「おおむね妥当」と認めていた大規模事業評価(注4-2)の見直しもないままの中止決定は、折角の行政評価システムの公平性を自ら踏みにじる行為といわれても仕方ない。
 また、いかに知事が最終意思決定者であっても、このように重要な政策変更や政策策定の形成過程においては、必要十分な民主主義的なルール、言い換えればプロセス・オブ・デュー(注4-3)を尊重することが大切である。たとえば、政策・財政会議の情報公開がほとんどされず、とても情報開示度日本一とは思えない実態などは、県民が知ったらどう感じるだろうか。仮に会議で知事の「鶴の一声」だけの発言だったらそれはそれなりに、賛成と反対があったのならばせめて発言の要旨は記録し、情報開示すべきであろう。隠せば隠すほど余計な憶測が生まれるのが世の常である。
 さきに「中核施設」と「緊急再生戦略」の二つの政策選択が「突出して特異な事例」と述べた所以である。

(注4-1)16年度末では四基金へ30億円を戻し入れた。なお、17年度当初でも約387億円の歳入不足が起こり、三位一体改革が途上にあるための厳しい財政運営が続いている。

(注4-2)一定規模以上の大規模事業を推進するかどうかに際しては、行政評価委員会の大規模事業評価部会の審議を経る。

(注4-3)必然的な手順・手続き。



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一 熱のさめた首都機能移転
二 難しく、悩ましい平成一六年二月議会
三 自治体の政策形成機能と行政評価
四 「中核施設」「緊急再生戦略」の政策選択
五 選挙で選ばれる政治家の権限と責任
六 政策形成と議会の役割
七 万物の流れの中での政策


 五 選挙で選ばれる政治家の権限と責任

 ところで「鶴の一声」と書いて、思い出したことがある。昔から財政界の実力者やボス、頑固親父らが頑として譲らず、自説を押し通してしまうことはよくある。結果は悪くなるよりも、良くなる方が多いようだ。人生経験や哲学の違いでもあろうか。
  アメリカの政治システムの特徴の一つに、官僚に対する政治家の絶対的優位がある。4年に1度の大統領選挙で当選した新大統領が、大統領府の高官や省庁の長官をごっそりと入れ替えてしまう。スポイルズシステム(略奪制度、あるいは使い捨て制度と訳せばよいか)と称され、任命権者は民間企業、法曹界、大学などから優秀な人材をスカウトし、重要な行政ポストに当てる。大統領に任命された官僚は大統領に対してのみ責任を負う。
 それで有名になった逸話がある。某大統領がホワイトハウスで重要案件について、スタッフの閣僚たちと協議していた。延々と続いたがなかなか意見がまとまらない。しびれを切らした大統領が決をとった。結果は大統領案に賛同した閣僚はごく少数で、反対が過半数を優に越えた。大統領は宣言した。「この案件は賛成少数、反対多数。よって可決!」大統領の「鶴の一声」の前に、彼等は物の数ではなかったのである。
 実質的に行政主導型である日本の政治に慣れ親しんでいる日本人にとっては驚く話であり、「独断専行」「独裁的」というイメージがつきまとう。しかし、世界で最初に近代民主主義政治を樹立したアメリカの政治家は、それほど国民に直接選ばれたことに誇りと自負を持ち、権限と責任を真正面から行使する姿勢を好むのだろう。
 さきに紹介したアマコスト氏の「国家的な重要政策の決断は、選挙で選ばれる政治家が行うべきだ」という言葉は、政治家ではないアマコスト氏の発言という意味においても、重い。わが国の政治家にそれだけの自信、洞察力、信念、責任感を持ち合わせている人は一体何人いるだろうかと、心もとない。
 首都機能移転の国会決議に賛成した政治家の中で、本気でその必要性を信じ、命をかけてでも実現しようと考えた人間が一人でもいるだろうか。猛反対のシュプレッヒコールに断固信念を貫ける政治家はいるだろうか。現代の世論と、100年、200年後の世論の軽重を読み切り、国民を説得しうる雄弁な思想家を探せるだろうか…(注5)。
 ところで、「鶴の一声」が選挙で選ばれた政治家に許される権限だとしたら、浅野知事の行動が仮に独断的であったとしても許容されなければならない理屈になる。現に、知事や市長などの首長は、その地域におけるミニ大統領(中統領?小統領?)的権限を持つ存在である。「独断的」と他者が指摘するのも独断的であるかもしれないし、場合によっては権力者の孤独な決断といえなくもない。つまりは、仮に「独断的」であっても、そのことをもって責めることは酷であるし、間違いであるかもしれない。
 要は、主権者たる住民の福祉向上としあわせ実現のために、英知をふるう立場にある首長は「独断的」と思われても熟慮断行で臨むか、「三人寄れば文殊の知恵」のたとえ通り、他人の話をよく聞いて判断した方がよい結果を生む道理(確率?)を信じて行動するかの違いはあっても、その政策決定によって生じる結果に対して逃げない姿勢、つまり、しっかり責任を果たす態度が求められよう。
 その意味で、前にも記した通り、最高意思決定者としての政策形成にどのように関与したのか、というプロセスの説明責任を負うことは極めて大切である。情報公開は、そのための有効な手法となる。情報公開の条例化当初は、意思形成過程は非開示とする考え方が支配的だったが、今日は違ってきている。行政の透明性を求める世論の高まりであろう。
 首長にとって、いま一つ銘記しておいてほしいのは、議会が議案としての政策にどのような反応を示すかの「読み」である。予算案にしろ、条例案にしろ、議会の議決がなければ実行は不可能なのだから、政策を実現するためには議会側の的確な状況把握が重要であることは論を待たない。議会は、数十名の議員によって構成され、政党や会派の集団意識と対抗意識がある一方、議員一人ひとりが厳しい選挙で選ばれることから、県民や地域の代表という自負も強く、個性的な議員が多い。また、本会議等での質疑・質問を通じて、会派同士・議員同士の切磋琢磨があるから、政策に明るい議員や一家言を持つ議員が少なくない。
 議会の役割や機能は、地方自治法に書かれてある通りだが、内部にいる経験からあえていえば、議会は、公選の議員を人的要素とする合議体である前に、それぞれの考えを持った生身の人間による政治集団であり、融通無礙の政策集団でもある。対峙する首長から見れば、自前の政策を遂行するうえで、やはり一筋縄ではいかない厄介な存在であろう。

(注5)東京遷都では大久保利通の果たした役割が大きい。また、ブラジルの首都ブラジリアの建設(1960)では、クビチェック大統領が任期内の三年半でやり遂げた。



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一 熱のさめた首都機能移転
二 難しく、悩ましい平成一六年二月議会
三 自治体の政策形成機能と行政評価
四 「中核施設」「緊急再生戦略」の政策選択
五 選挙で選ばれる政治家の権限と責任
六 政策形成と議会の役割
七 万物の流れの中での政策


 六 政策形成と議会の役割

 ここで、政策形成と議会の役割について触れておきたい。
 地方自治における首長と議会の関係を、よく車の両輪にたとえる人がいるが、口径も仕様も全く違っており、まともに真直ぐ前に進むはずがない。それほど首長の権限は強大だ。
 しかし、議院内閣制の国政と異なり、地方政治は、首長と議員がともに住民の直接選挙で選ばれる二元代表制をとり、予算編成権、議案提案権、条例制定権、法令等で定められた公権力執行権など、優位性を持つ首長に対し、議決権、調査権、請願受理権、議員発議による条例提案権などを柱とした議会の権限を生かすことによって、自治体の政策形成過程に議会(会派・議員)が参画する仕組みとなっている。
 一般に、会派または議員は、予算審議や代表質問・一般質問を通じて政策提案をすることが多く、さらに議員の選挙区の市町村や諸団体の要望事項を取り次ぐことによって、具体的な施策や事業の実現を図ろうとする。しかし、当然のことながら、政策主体は首長及び執行部にあり、要不要の判断から政策調整に至る作業の中で取捨選択され、議会対策上の必要性を加味した場合でも、政策として取り入れられるケースはそんなに多くはない。
 また、議会本来のチェック機能という面からも、個々の利害にからんだ政策よりは、首長や執行部が気が付かない観点や状況を指摘して、問題意識の展開を図ったり、新たな思考を促す政策提案型の働きかけが多くなる傾向にある。
 政策形成と議会の役割をみるうえで、ドラスティックな変化をもたらしたのは、平成12年(2000年)4月から施行された、いわゆる地方分権推進一括法である。それまで議会議決事件の枠外にあった国の機関委任事務が廃止され、自治体の処理する事務は自治事務と法定受託事務の二つとなった結果、地方自治法第九六条の「条例を設け又は改廃すること」という議決事件の領域が予想以上に広がった。そして同条二項の「条例で議会の議決すべきものを定めることができる」の規定を活用して、議会が能動的に政策形成に参画する動きが、全国の自治体にふえるようになった。
  平成15年2月に「宮城県行政に係わる基本的な計画を議会の議決事件として定める条例」が制定されたのも、この動きの一環といえる。これは、これまで知事の専管事項と考えられてきた。「宮城県総合計画」などの策定・変更又は廃止について、議会の議決を経なければならない、と定められたもので、従来から議決事件となっていた「基本構想」に加えて「基本計画」が対象となり、さらに将来「実施計画」まで進めば「予算の編成」に至る、いわば政策過程の大部分について議会が積極的に関与できることになるものである。
 これらの動きは、執行部にとってやりにくい面が当然発生してくるだろう。だが、今後の地方分権の進展が道州制にまで及ぶ可能性が高まりつつあるとき、住民・自治体・議会の間に新たな政策主体間連携を構築し、わが国わが郷土の輝かしい未来をつくりあげるために、極めて重要なステップとなるものと期待したい。
 宮城県議会は、ここ10年で議員発議によるいわゆる政策条例を13本つくっており、全国都道府県議会の中で最多の実績を残している。平成16年2月議会でも、さらに「ふるさと宮城の水循環保全条例」が新たに加わる(注6)。議会が首長の政策執行を監視する「チェック機関」としての機能に加え、「議事機関」「準立法機関」(国会に準ずる立法機関)としての機能を充実強化していくことは、わが国の地方自治制度の歴史がたどってきた方向性に沿うものであり、地方分権新時代の「時代」が求めるものであろう。しかし、同時に、議会自らがその責任の重大性を自覚せず、自己改革への真摯な研鑚と努力を怠れば、二元代表制は有名無実となり、住民の手厳しい批判は免れ得ないであろう。

(注6)平成16年6月議会で成立。

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 七 万物の流れの中での政策

 およそ人類が出現して以来、古今東西、為政者によってさまざまな政治が行われてきた。それは、生存と種族維持のため自然を克服し、食糧を増産し、戦争の災禍にもかかわらず人口と富を増やし、国や民族の興亡の中に文明や科学技術を発展させ、交通・情報の急速な発達が地球を一体化させている今日に至るまで、繋がっている。
 いま、当面している政策形成の課題や手法は、つまるところ、先人達が長い時間をかけた試行錯誤から学び取ったものである。言い換えれば、政治の進化の集大成の一つである。
 しかし、政治に失政は必然であるように、政策形成も間違いや失敗を冒しやすい。また、不作為や問題先送りによって、事態をかえって悪化させてしまうことがよくある。つまり、政策形成において重要なことは、最適・最善の政策として選択し執行する際に、政策効果や目的達成の評価を常に客観的に行い、信念や確信に基づく基本姿勢の中にも、時として見直し、変更し、中止する選択肢を内在させておくことであろう。
 そして、その判断が最高意思決定者個人であれ、組織としての協議であれ、他者及び後日の検証に足る情報管理の下に、説明責任を果たしうる民主主義のルールとシステムが顕在していなければならない。特に、地方自治の二元代表制の一方の極にある議会との対応は、十分配慮すべきである。なぜなら、政治の主権は常に国民・住民にあり、政策形成も改変も権力者や権力機構の恣意によるものではなく、公共の目的のために遂行されるという確証が求められるからである。
 民主主義は、人類の長い歴史による政治形態として、最善のものと考えられる。事実、わが国も約60年前の敗戦で国家構造や国民意識が大きく変わり、今日、アジアを代表する民主主義国家となっている。しかし、西欧のように勝ち取った民主主義ではなく、与えられた民主主義という側面と、移入された西洋思想に対する古来からの東洋思想や、日本人の価値観との相克という側面があって、いわば「日本型民主主義」の熟成という段階にはまだ至っていない。
 一方で、世界経済のボーダーレス化が進み、日本は構造改革、行財政改革、産業再生の成果を求めつつ、少子高齢化、地方分権の波の中で、国民の安心・安全を確保し、教育や文化の振興を図り、環境や資源を意に用い、世界平和と国際貢献への責務を全うしなければならない。
 しかも、わが国の変化のスピードは、政治、経済、社会のいずれの分野においてもめまぐるしく速い。たとえば、少子化は間違いなく将来の日本に深刻な影響を与えよう。現在、約1億2700万人の人口は、2050年には3500万人減って9200万人に、2100年には何とその半分の4600万人になると予測され、出生率の推移がこのまま進むと、わずか約三世代の100年後には、現在の人口の約63.8%を失う計算になるという。
 こうしてみると、日本の民主主義政治における政策は、国にしろ地方にしろ、まだしっかり定まらない座標軸の上で、慌ただしい変化に追い追われながら、複雑多岐な数次方程式の解を必死に求めているように思える。
 仏教の教えによれば、万物は縁起によって存在し、存在は常に変化する(無常)。したがって存在とは実体がなく、自分の都合や損得ではない(無我、無為)。つまり、存在はこだわりようがない(空)。人間は自我、煩悩の世界にあって、なかなかこの心理を悟りえない。しかし、愚かでこだわる自分に気がつき、縁起の真理に気づけば、知慧が働き、無常、無我、無為、空の悟りに達する、という。
 政策の対象は、もとより、眼で見れる事物や、数字で表わされる形のあるものだ。しかし、それらをつくる人間の意志、思考、信念などは、決して眼で見えたり、数字で表わしたりはできない。宗教や哲学の思索の世界、「こころ」や「魂」や「精神」の世界も、眼に見えず、数字で表わせない。だが、間違いなく人間も、社会も、自然も、宇宙も、見えざる世界のエネルギーによって、そして、ゆったりとした長い時間の中で、あるべき姿に変わってきたのだと思う。
 政策形成という、極めてリアルな世界で忙殺されがちな人々にとって、悟りの境地にはもとより達しないまでも、時には頭を空っぽにして、万物の流れの中での政策のことなど、瞑想にふける機会があってもよいのではなかろうか。
 最後に、江戸後期の優れた農政家で、今日でいう社会改革者であり、神仏の教えを大切にした二宮尊徳(注7)の言葉を紹介したい。

「慎めよや、小子(子供や弟子の意)。速やかならんことを欲するなかれ。速やかならんと欲すれば、即ち大事を乱る。勤めよや、小子。倦むなかれ。」

 二宮尊徳は、改革の大事業は、およそ10年を目途に、忍耐強く不屈不撓の努力を重ねることを説き、一挙にやり遂げようとあせっては必ず失敗する、と戒めた。スピーディーな現代にあるからこそ、心すべき言葉であろう。

(注7)1789-1856年。相模の人。幼名金次郎。昭和30年頃までは、全国の小学校の校庭に薪を背負い、本を読む金次郎の銅像があった。戦後教育が、わが国の歴史上の偉人や英雄を排除してきた弊害は大きい。


 この論説は、宮城県企画部政策課編集「みやぎ政策の風」創刊号(平成16年3月31日発行)に掲載された記事に一部加筆訂正したものです。


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