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議会質問・討論

宮城県議会議員 相沢光哉

第328回 定例会 平成22年10月1日 一般質問

「地域主権改革について」
「志(こころざし)教育と教育委員会制度について」

○議長(畠山和純君) 59番相沢光哉君。
    〔59番 相沢光哉君登壇〕
◆59番(相沢光哉君) 通告に従い、大綱1点目、地域主権改革について伺います。
 民主党政権誕生以来1年、何が起こったのかをキーワードで振り返ってみますと、政治とカネ、沖縄普天間問題、事業仕分け、子ども手当、高校授業料無償化、幹事長室一元化、わずか半年での鳩山内閣の退陣、菅内閣の発足、消費税のブレ菅発言、参議院選の与党敗退、日韓併合百年の首相談話に見る相も変わらずの謝罪と自国断罪発言、ノーサイドと一兵卒という、まるで実体のない言葉で終わった代表選。そして直近では、中国の圧力に屈した尖閣諸島海域での中国漁船衝突事件と、まさに混乱と迷走の1年であり、国際社会での日本の地位を著しく低下させた国政担当者の無能力さが際立った1年でした。
 国内では、デフレ、財政難、人口減少、就職雇用難の四重苦とも言うべき現象が、特に体力の乏しい地方の地域経済や生活を苦しめており、あすに向かって明るく語り合う雰囲気はなく、心配、不安、苦しみに満ちた暗い話ばかりと言って過言ではありません。
 どうして我が国はこのような状態になってしまったのでしょうか。私は、民主党政権だけを攻撃するつもりはありません。自民党政権時代にも、例えば規制緩和や構造改革の美名のもとで、行き過ぎた政策が数多くつくられました。グローバルスタンダードの新しい法律や制度が導入され、結局は、かえって事態を悪くした事例は枚挙にいとまありません。改革という名がつけば、すべてが善で必要。それまでなじんでいた方法や制度は、古いもの、効率の悪いもの、時代に合わないものとして捨て去られました。自民党政治は官僚政治と批判されました。権限と予算をコントロールできる官僚が政治力の中心にいる。確かにそのような実態はあったと思います。私は、我が国の特徴である、目まぐるしい政策変更の一因は、官僚トップの事務次官がみずからの任期中に新しい制度や事業を手がけたいという欲求にかられ、それまでのすぐれた制度を無理やり変えてしまったことにもあると思っております。
 民主党は、昨年8月の総選挙で、国民の生活が第一、コンクリートから人へ、政と官の関係を抜本的に見直す、霞ケ関を解体・再編し、地域主権を確立するなどと訴え、大方のマスコミの後押しを受け、政権交代を実現しました。鳩山内閣が誕生して、国民の熱狂は大変なものでした。霞ケ関の官僚たちは戦々恐々だったに違いありません。気心の知れた自民党の政治家と違って、野党時代、冷遇したかもしれない相手が、霞ケ関解体、官僚政治打破、政治主導を叫び、事務次官会議の廃止や陳情・要望のルール変更を問答無用で推し進めてくるのですから。相当怖かったでしょう。自民党政権がつぶれ、共産党政権が誕生したのならわかりますが、不思議なことに、民主党政権は、自民党がしてきたことをほとんど否定し、変えてしまいました。もし、自民党がしてきたことの7割を残し、3割を目新しく変えたら、盤石の長期政権になったかもしれません。鳩山さんのままで。
 自民党政権、そして近年の自公政権ほど、社会主義的政策を取り込んできた保守政権はありません。バランスはよかった、だから、長期に及ぶ国民の支持があった。惜しむらくは、自民党終盤の首相たちに村井知事の万分の一の魅力があったら、世界は変わっていたかもしれません。
 自民党政治の官僚支配は確かに問題でしたが、官僚は、審議会や評価委員会を駆使して、公平性、効率性、透明性を高めることは手なれており、政策への信頼性はそれなりに担保できることが多かった。しかし、民主党政権になって、子ども手当にしろ、戸別所得補償にしろ、高校授業料無償化にしろ、結論が先にあって、財源確保や予算など手段方法は後で考える。しかも、政治主導だから、官僚は口を挟むなというのでは、だれが見ても危なっかしい。特に、民主党には左翼思想にどっぷりつかっている人が多いから、子ども手当では、海外に子供がいる永住外国人、高校無償化では反日教育に熱心な北朝鮮系学校まで対象にしようということが平気で起こります。
 また、トラスト・ミーの鳩山前首相は、沖縄普天間問題の際、米軍海兵隊は、学べば学ぶほど抑止力として維持していることがわかったと軍事音痴を発揮し、同様に、三軍の長である菅首相は、自衛隊の幹部と懇談した際、改めて法律を調べたら、総理大臣は自衛隊の最高の指揮監権を有すると規定されていた。その自覚で役目を担っていきたいと、国家指導者としての余りの無知、国家観の欠如を露呈しました。悲しくて、言葉も出ません。  以上、述べた政治主導による官僚排除、行き過ぎた左翼思想、国家意識の欠落は、実は本題でもある地域主権改革にも色濃く影を落としております。もとより、地方分権はぜひとも実現しなければなりません。しかし、その手法に隠されたイデオロギーがセットされているとすれば、細心の注意が必要です。地域主権改革を地方分権を推進する強力な手だてと単純に喜べないゆえんであります。
 以下、質問を交え、地域主権改革の実像に迫りたいと思います。
 第1点、地域主権という用語は、本年2月議会での須田議員への答弁に見るように、平成16年の小泉内閣当時、骨太の方針や道州制ビジョン懇談会の中間報告等に散見されますが、本格的には、民主党のマニフェストで地域のことは地域が決める地域主権を確立し、第一歩として地方の自主財源を大幅にふやすことがうたわれ、民主党政権誕生後、鳩山内閣から菅内閣へ引き継がれた本年6月、地域主権戦略大綱が閣議決定されたことで定着していきます。語義として、地域と主権が一つになっているために、主権在民、主権国家という主権にかかわる憲法の崇高な理念が世俗化、矮小化されてしまいました。あたかも国土の一定の地域に主権があり、あるいは主権を付与するかのような誤解も生じかねません。また、大綱では、地域主権改革は単なる制度の改革ではなく、地域の住民がみずからの住む地域をみずからの責任でつくっていく責任の改革と位置づけていますが、回り回った説明でわかりにくい。地域とは何を指し、国全体や他の地域との関係をどうするのかが見えない。つまり、地域主権という言葉の語感、意義と、使われる用途や目的が違うところを向いていると言わざるを得ません。分権よりは主権とおだてられていい気分にされている気持ち。地域のことは地域が決めると中央が決めたという矛盾。地域主権が法律用語にならなかった、あるいはなり得なかったところにうそっぽさがあるという意見。地域主権を英語では何と言い、それは世界で理解される概念になるのかということらについて御所見を伺います。
 第2点、民主党の地域主権理論の教祖的存在が法政大学名誉教授、松下圭一氏であることはよく知られております。氏は、武蔵野市で市民運動を実践する傍ら、「市民自治の憲法理論」、「日本の自治・分権」などの著作を通じて、市民自治による市民中心の社会に日本をつくり変えていく、地域主権国家の母体は市町村などの基礎的自治体で、そこで担えない事務事業は県などの広域自治体で担い、広域自治体が担えない事務事業を国が担うという補完性原理を唱え、地域主権改革や新しい公共の理論的推進者として、知る人ぞ知る学者であります。地域主権を改革の1丁目1番地と称した鳩山首相や、同じ市民運動家としてみずから松下先生の不肖の弟子という菅首相にとって、氏はかけがえのない指導者でありましょうが、いかに共鳴したからといって、一個人の理論をそのまま国策に移すというのはいかがなものかでしょう。
 松下市民自治理論では、運命共同体である国家の枠組みで、歴史、伝統、文化を共有し、国の未来に責任を負う国民としての連帯意識は極めて希薄で、国家観念は必要ないとまで述べております。さきに触れた2人の首相が国家指導者としての迫力に欠けることは、偶然ではないように思います。
 また、現在の国家像が中央集権型の画一的な行政であり、それとは逆の方向の改革、つまり市民主体の地域主体の国家をつくるべきとの主張も議論の分かれるところです。論理の立て方に、家庭・家族より個人を重視する考えと相通ずるものを感じます。
 以上、指摘してきた地域主権の理論的、思想的背景について、知事はどのような所見をお持ちか、お示しください。
 第3点、地域主権の主舞台となる市町村など基礎自治体と県などの広域自治体について伺います。
 本来、市町村はシティーマネジメント、県はローカルガバメントとして、地方自治の役割と機能に違いがあるはずですが、国対地方の構図、地方自治法上では、県と市町村の差異はなく、組織、運営等は共通して規律されています。今後、地域主権改革が松下理論に見るような市民中心で推進すると仮定した場合、これまで一律的に配分されてきた交付税や補助金の取り扱いが自立自助の建前から、市町村によって格差を生む可能性があり、県は従来の国の役割を代替するのかどうか。あるいは基礎自治体と国という二層に集約されていくのか、予断を許しません。また、最近の名古屋市などの例に見るように、市民運動の高揚が議会の存立にまで影響を及ぼすことが考えられ、ひいては行財政改革の矛先が議会など間接民主主義や二元代表制の否定ないし制限にまで進みかねません。
 地域主権改革による県、市町村との関係、特に県から基礎自治体への権限移譲のあり方等について現在どのように考えられているのか、お示しください。
 第4点、三位一体改革の苦い経験を思い出すまでもなく、国は、地方分権の推進を口実に、出先機関の原則廃止に伴って、余剰人員の受け入れを求めてくるかもしれません。全国知事会は、9月初めに、民主党代表選挙立候補者に対する公開質問状を提出し、それなりの回答をいただいたようですが、地域主権改革関連3法案がいまだ成立していない状況にあり、また、中央省庁の徹底抗戦も激しさを増しており、最終的な形がどう落ちつくのか、細部の詰めを含め、今後の方向性がはっきりしてないことが懸念されます。特に、地方税財源の強化、国の出先機関の原則廃止、義務づけ・枠づけの見直し、ひもつき補助金の一括交付金化、国と地方の協議の場の設定について、どこまで作業が進み、また地方の意見や提言がどう受け入れられる状況なのか、また、案件の賛否を含め、知事の御所見をお示しください。
 次に、大綱2点目、志教育と教育委員会制度についてお伺いいたします。
 幕末から明治初期の近代黎明期の我が国を訪れた欧米人、例えば、トロイ遺跡の発掘で有名なハインリッヒ・シュリーマンは、日本人が正直で誇り高く、貧しくとも少しも卑屈でなく、清潔さと勤勉さを好み、好奇心が旺盛で創意工夫の才に富むことを絶賛し、庶民や子供に至るまで教育レベルが高いことを驚嘆しております。戦前においても、日本人は道徳心が高く、親孝行で礼儀正しく、正直で勤勉で、優しい心の持ち主であり、敬神崇祖にあつく、自然によく親しみ、教育勅語の精神を大切にしておりました。
 しかし、敗戦から65年、今日の我が国の状況は、子供への虐待、家庭崩壊、教育の荒廃、公共心の欠如、社会秩序の乱れ、治安の悪化と、惨たんたるありさまで、その要因は、物の豊かさの反面の心の貧しさ、倫理、道徳、公の欠如、過度の自由と過度の個人主義などさまざま挙げられますが、一言で言えば、戦後教育は間違ってしまったからにほかなりません。
 本年3月、宮城県及び宮城県教育委員会が手を携え、宮城県教育振興基本計画を策定し、教育の根本は人づくりにあることを柱にして、志教育の推進を高く掲げたことは極めて時宜を得たことでありますが、私は、知事と教育委員会がともにこの大事業に不退転の決意で臨まれること、そのための有効な方法と中長期にわたって緻密に組み立てられることを強く希望いたします。と同時に、戦後教育は間違ってしまったという真摯な反省と認識が関係者の中に共通していなければ、新しい試みは大きなインパクトになり得ず、いつものありふれた教育改革メニューの一つとして、いつしかほこりをかぶり、忘れ去られてしまうのではないかとおそれるのであります。
 なぜこういうことを申し上げるかというと、理由は2つあります。
 1つは、数年前、県内のある公立小学校を訪問した際、校長先生からこういう話を伺いました。学校現場では、校長も教頭も教諭も目まぐるしいほど忙しい。そこに教育委員会からいろいろな通達や書類が送られてくる。新しい言葉や用語がたくさん盛り込まれているので、一生懸命勉強して準備をする。また新しい通達や書類が来る。その繰り返しで、はっきり言って、2年前のものは全く役に立たず、使われなくなってしまうと言うのです。もしこのような実態があるとすれば、送り手と受け手の間にかなりの乖離があると言わざるを得ません。
 もう1つの理由、戦後教育は間違ってしまったと認められる人と認められない人がいます。ありていに言えば、戦後教育の相当部分は日教組教育とも言えますから、組織関係者はそんなことは絶対認められないと言うでしょう。では、県教委は事を荒立てずに、尖閣諸島漁船問題の日本政府のようにお茶を濁すのが得策でしょうか。私は、そうは思いません。第一、我が国の教育の現状を見て、戦後の日本の教育は正しかったなどと言える人はよっぽど偏向している人しかいないでしょう。知事や教育長や教育委員長は真っ当な方々ですから、戦後教育の評価はそれぞれお答えいただけると思います。私は、教育振興基本計画を書き直してくれと要求しているのではありません。しかし、先ほど述べたように、推進を図る側の真摯な認識が伝わらなければ、この壮大であるべきムーブメントは実を結びません。
 これまでるる述べてきた論点に関し、知事、教育長、教育委員長の御見解をお聞かせください。
 ところで、日教組教育の弊害については言いたいことはごまんとありますが、1点だけ伺います。
 日の丸・君が代が国旗・国歌と法律で定められてからも、掲揚しない、演奏しない、歌わないという教師が全国にはまだいるようです。某全国紙や某国家公安委員長もそのたぐいのようですが。日の丸・君が代がどうしても嫌なら、新しい国旗・国歌を公募するなりして、どちらがよいか国民に選ばせるのが民主主義のルールであります。ただ嫌だ嫌いだと言っているのは、ずうたいの大きいだだっ子にすぎません。
 ある県立高校の卒業式に来賓として出席した際、君が代斉唱があるにはありましたが、ピアノ伴奏に合わせて歌う生徒はほとんどおらず、極めて異様な雰囲気でした。国旗・国歌の指導の実態はどうなっているのか。特に、日ごろから日の丸の由来や君が代の歌詞の意味を教えたり、歌の指導を行っているのか、お聞かせください。  志教育を小中高の学校教育でどう展開すれば成功するのかは、一に指導する先生方の志にかかっています。さきに申したように、学校現場は忙しい職場であり、本来の学力向上やコマ数の消化の中で志教育を具体的にどう取り込めるか、決して簡単ではありません。計画では、プラン策定委員会が年度内にもモデルカリキュラムや実践事例などの成果物を具現化する方向のようですが、教師らの習得や意識向上はどのように図るのか、お示しください。
 また、生徒を指導する教師らがさまざまな雑音や有形無形の制約に心乱されることなく、しっかりとした問題意識と使命感を持って志教育に取り組めるかどうかは、校長ら管理職の絶対的な後押しと、それらを温かく見守り、かつ必要なときに迅速な対処ができる教育委員会の存在と働きが極めて重要となります。その意味で、県教委と市町村教委の連携も同様に大切ですが、昨年、県教育振興基本計画の答申案について市町村教委に意見を求めた際、わずか4市町の意見提出にとどまったと聞いておりますので、もし関心の低さがあるとすれば、今後の事業推進が懸念されるところであります。県教委の体制づくりと市町村教委との連携の実態はどうか、お伺いいたします。
 志教育を子供たちの心にしっかり届けるためには、すぐれた先人らの感動的な行動、不屈の精神、崇高な使命感を日本人の命あふれる物語として教えることが肝要であります。戦後教育の大きな誤りの一つは、英雄や偉人の血沸き、肉躍り、胸を打つ物語を、個人崇拝、戦争美化、体制擁護の象徴として徹底して排除してしまった愚かさにあります。日本以外のどこの国が自国の生んだ英雄・偉人に目をふさぎ、耳を閉じているでしょうか。国家観や愛国心を持たない為政者や大志のかけらもない政治家がごろごろいる現代日本のありさまは、他国の侮りを受けて当然なのかもしれません。
 志教育では、わらじ村長・鎌田三之助氏を取り上げるようですが、それはそれとしても、もっと幅広く、例えば聖徳太子、二宮尊徳、吉田松陰、福沢諭吉など日本の歴史上の人物を、また郷土では、藩祖伊達政宗公をしっかり教えるべきと思いますが、御所見をお聞かせください。
 最後に、教育委員会制度についてお伺いいたします
 教育委員会制度は、戦後、GHQの強力な指揮のもと、国、地方の教育行政改革の一環として日本に新たに生まれた制度で、当時文部省が有していた地方教育行政に関する権限を削減し、教育行政の地方分権化をいち早く図ったものであります。
 教育委員会は、公安委員会と同様、一般人による統治、レイマンコントロールの形態をとる行政委員会ですが、公安委員会が純粋な一般人で構成されるのに対し、本県では6名で構成される教育委員会委員は、知事が議会の同意を得て任命し、委員の中から互選で教育委員長を選出し、委員長以外の委員の中から事務局(教育庁)を統括する教育長を教育委員会が任命するという、やや複雑な手続をとります。つまり教育行政職のトップである教育長は、教育委員会委員としての資格をあわせ持って委員会の会議に加わります。本県では、大村虔一委員長と小林伸一教育長とはすこぶる相性がよいと見受けられますので、委員会では和気あいあいの中に他委員を含め、活発な意見交換が行われ、極めて機能的に運営されていることは大変喜ばしいことであります。
 しかし、仮に、委員長と教育長の意見や方針が対立し、収拾がつかなくなるほどの事態に至った場合、多数決で決着をつけるとしても、しこりが残る可能性があります。また、任命権者である知事の考え方や意見との折り合いをどこでどうつけるのかも難しい面があります。更に、人事権を持つ教育委員会であっても、本来がレイマンである委員の意見がどこまで貫けるか。学校現場や教職員組合や事務局の有形無形の圧力も存在するはずですし、世論の意向も、時に味方し、時に敵になります。
 教育委員会制度がつくられて60年余、途中、教育委員会法が廃止され、地方教育行政の組織及び運営に関する法律が根拠法となって今日に至っていますが、形態は設立当初からほとんど変わっていません。変わっていないのは、組織としてよいからなのか、形骸化が進んだからなのか。教育委員会は事務局の提出する案を追認するだけで、実質的な意思決定を行っていないのではないか。多様化する地域住民や保護者の声を十分吸収し、また情報発信は届けられているのか。県教委を離れて市町村教委を見た場合、本当に機能的に運営されているのか。地方分権の時代、画一的な委員会ではなく、宮城らしい組織や働きを加えることはできないのか。私立学校に対する県行政の対応はこのままでよいのかなどなど、教育委員会制度に対するさまざまな指摘や要望について、これまで述べてきた論点を含め、知事、教育委員長、教育長の御見解を伺います。
 以上で、質問を終わります。
 御清聴まことにありがとうございました。

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