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議会質問・討論

宮城県議会議員 相沢光哉

第348回 定例会 平成26年7月3日 賛成討論

国会に憲法改正の早期実現を求めるための意見書

○議長(安藤俊威君) 56番相沢光哉君。
[56番 相沢光哉君登壇]
○56番(相沢光哉君) 私は、ただいま議題となっております意見書第18号議案、「国会に憲法改正の早期実現を求めるための意見書」に賛成の立場から、自由民主党・県民会議を代表し、討論を行います。

   本意見書案は、本年、3月3日、ただいま反対討論に立たれたゆさみゆき議員がおっしゃった県民の声として、日本会議宮城県本部、神道政治連盟宮城県本部、宮城ビジョンの会、新しい歴史教科書をつくる会宮城県支部、北朝鮮に拉致されたすべての人を救出する宮城の会、my日本宮城の6団体が連名で提出された「憲法改正の早期実現を求めるため、宮城県議会の意見書採択に関する陳情書」の趣旨に沿い、地方自治法第99条の規定に基づき、国及び衆参両院に対し、本定例会最終日の本会議において可決採択をもって意見書を提出することとしたものであります。
 先ほど、反対討論をされたゆさ議員の論旨、そして、この後、共産党の天下みゆき議員の想定される論旨、また先月来、憲法改正反対の諸団体から送られてきた「意見書案に断固反対する声明」等に盛り込まれている論点とは、多分かなり似通ったものであろうと思いますので、それらを網羅した上で、なぜ、今、憲法改正の早期実現を求めるのかの論拠を明らかにしてまいりたいと思います。
 
 まず第1に、声明の中によく出てくる論法でありますが、地方自治法第99条に基づく普通地方公共団体の議会の意見書は、当該団体の公益に関する事件に係るものであるから、意見書案は抽象的に憲法改正を求めているのみであって、宮城県民の権利、自由の保障や生活の向上、県の行財政との関係が全くもって不明瞭であり、地方自治法に定める意見書としてそもそも不適格、不適切であるばかりか、むしろ有害とさえ言えると断じている点であります。ただいまの反対の討論もそのようなトーンであったと理解をいたしました。
 このことは明らかに公益の範囲を極めて矮小化しており、地方は国政のことに口を挟むなと言っているにひとしく、県民、市民は同時に国民である観点が欠落していると言わざるを得ません。同時に、議会の基本的な権限の一つである意見書提出権の意義を軽視しており、気に食わないものはへ理屈をつけてでも封じ込めようとする姿勢そのものであります。
 第2に、自民党は、解釈改憲のみならず、明文改憲にも積極的に取り組み、憲法改正運動には大規模な国民運動は不可欠だとして、地方議会での意見書採択を促し、全会一致の慣行を踏みにじって意見書を通させようとする動きは許されるものではないとしている点であります。
 前段はまあ否定するものでもありませんが、意見書は、全会一致でなければならないとは、どの条文にも書いておりません。宮城県議会の過去の多くの事例を見ても政務調査会長会議の中で、会派間の調整を尽くした上で、イデオロギーや政治思想に係る意見書の場合は、民主主義の大原則である多数決によって採択、不採択を決めてきており、また、自民党会派の独断専行でもありません。世界じゅうを見ても、成熟した民主主義国家は十分な時間をかけ討議し、その経過、内容もさまざまなメディアを通して国民に知らせており、賛否もしばしば拮抗することがあっても、最終的に多数決で決し、重要案件については投票者の特定もしっかりできる仕組みとなっております。むしろ、政治の世界での全会一致は、独裁国家や共産主義国家の真骨頂とも言うべき側面があることを心しなければなりません。
 第3に、意見書案は抽象的に憲法改正を求めているが、日本国憲法が約70年間、一度の改正も行われてこなかったのは、日本国民がこの憲法を支持し、憲法が国民の生活に根差してきたからであり、戦後一度も戦争に加担せず、戦争による被害も受けなかったのは、平和憲法、なかんずく憲法9条の力によるものであるのに、政府など改憲勢力は集団的自衛権の行使のために憲法解釈を変更する閣議決定をして、憲法9条を機能停止に追い込み、日本を戦争する国へ大きく変えようとしているという点についてであります。
 前段については、先ほど意見書の提案理由説明を行った我が会派の池田憲彦会長が詳しく触れたように、今日の我が国を取り巻く内外諸情勢は、戦後70年を経て当然のことながら劇的な変化を遂げてきており、現憲法制定時に想定されなかった事態や、今後想定されるあらゆる事態への適切な対応が求められております。それは、将来にわたっての国家、郷土の安全と安定、国民社会の安心と繁栄、近隣諸国との共存共栄、国際社会への平和貢献を柱としつつ、我が国の歴史、伝統、文化に基づく国柄の維持発展と、想定外の事態を決して起こさせない非常時への十分な備えなど、現実と変化に対応するために、国家の根本規定である憲法を整備すべしとするのが今回の意見書の本旨であります。ですから、ゆさ議員、抽象的で中身がないということは全くないわけでありまして、むしろ、これだけ現憲法には大きな課題がたくさんあるという指摘であります。そのために、憲法改正の内容については、国会での幅広い議論にゆだね、国民に対する丁寧な説明を求めて、憲法改正の最終判断は、国民がみずから国民投票によって示すこととし、投票権年齢を18歳以上に引き下げて、国民意見の拡大を図っております。
 諸外国の実態を見ても、憲法は決して神聖にして侵すべからずの不磨の大典ではありません。例えば、第二次世界大戦で日本と同じ敗戦国であったドイツは、1949年に憲法制定以来、59回の改正、イタリアでは1947年制定以来、16回の改正を行っています。
 日本国憲法は、世界の成典化憲法保有国188カ国のうち古い方から数えて14番目ですが、改正をしない憲法としては唯一、最古の国であります。日本国憲法が70年間、一度も改正もせずに今日に至っている理由は、日本国民が支持し、憲法が国民生活に根差した平和憲法だったからというのは9条の会の主張でしょうが、今日、平和主義条項、つまり、みずから他国を侵略しないと憲法に明記している国は、先ほどの188カ国のうち、156カ国に及び、我が国の専売特許ではありません。むしろ、9条2項のように、国民国家として自然権である自衛権まで放棄していると解釈される戦力不保持と交戦権否認の条項は、国家経営上重大な欠陥であり、近隣の好戦的な軍事大国につけ入るすきを与える危険きわまりないものであります。
 何ゆえこのような憲法がつくられたのかは明白な理由があり、それは、日本国憲法が昭和21年(1946年)3月に、GHQ原案の憲法改正草案要綱の発表の後、同年8月衆議院可決、10月貴族院可決成立、11月3日公布、翌昭和22年(1947年)5月3日施行という慌しいスケジュールで成立しましたが、その原案は、GHQ作成の英文を日本語に翻訳したものであり、日本が二度と再び武力でアメリカに参戦することのないよう、徹底して新憲法で縛りをかけたからにほかなりません。本来、占領時に占領側が被占領側の憲法その他基本法令を改正することは、国際法上行ってはいけないこととされており、国際法違反の疑いもあったのですが、当時GHQの恐ろしさの前に、日本は全く無力でした。その後、吉田内閣の時代に憲法改正に最接近した時代がありましたが、残念ながら改正に必要な議席数に数歩及ばず今日に至っております。
 現憲法には、我が国の独自性とも言うべき歴史、伝統、文化にまるで触れていない無国籍風の前文の中で、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などどいう、自国民の安全と生命を能天気に他国民にゆだねる表現があること、また、国家非常事態への緊急的対応が全く欠如していること、環境問題や家族、家庭の重要性に触れていないことなど、直すべきところ、加えるべきところが少なくありません。国民の英知を結集して、よいところはしっかり残し、修正すべきは修正する、それが普遍的な国家のとるべき道であります。護憲派の中には拙速な改正をするな!と声高に主張する人がおりますが、制定から70年、自主憲法制定を党是として自由民主党が誕生して間もなく60年たつ今日、一言一句変えていないでどこが拙速なのでしょうか。全く理解に苦しみます。
 我が国が長く平和で来られたのは、憲法9条が水戸黄門の印籠のように不思議な力を発揮したわけではありません。憲法で戦争放棄を宣言すれば、他の国々には平和をもたらすでしょう。しかし、だからといって、それにより自国の平和が守られる保障はどこにもありません。日本が戦後長く平和で来た理由は、東西冷戦時代、ソ連崩壊後を問わず、日米安保条約に基づく在日米軍の存在であり、また自衛隊の存在であります。在日米軍の存在は、全国の米軍基地の問題など課題はありますが、他国からの領空・領海侵犯に対し、効果的な抑止力を発揮してきたことは正当に評価してよいと思います。
 最後に、集団的自衛権について触れておきたいと思います。
 政府は、今月1日の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更して、限定的に集団的自衛権の行使を容認することを決定しました。我が国と密接な関係にある他国への武力攻撃で、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、必要最小限の実力行使は憲法上許容されるという「積極的平和」への我が国安全保障政策の一大転換であり、今後、集団的自衛権行使の裏づけとなる自衛隊法などの関連法改正を秋の臨時国会で実現させる方針も明らかにしました。
 この決定に至る過程の中で、対外的には、助け合える国として日米同盟のきずなが一層強まり、他国に対する抑止力、牽制力が一段と強化されることは、日本が左翼マスコミが言う「戦争をする国」になるのではなく、「戦争を起こさせない国」になる可能性が極めて高いことが示されたと思います。また、対内的には、従来、集団的自衛権の行使に慎重だった連立与党の公明党が、いわゆる武力行使の三要件、綿密な事例集の検討、そしてグレーゾーン対応の結果、適切な法整備によって懸念される事態は回避されるとして容認に踏み切ったことは高く評価されると思います。
 私は、安部晋三首相が一貫して集団的自衛権の行使条件についてぶれない姿勢を貫き、「戦後レジームからの脱却」と、「日本を、取り戻す」ことに刮目すべき成果を挙げたことを喜びたいと思います。首相の発言の中でも、「今後50年、日本は安全だ」、「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争に参加するようなことは決してない」との発言は重く、各マスコミも正当に報道してもらいたいものであります。  日本人で戦争をしたい人は一人もおりません。万が一、政権が理由に乏しい海外派兵を強行しようとすれば、民主主義国家である日本の有権者は、断固倒閣、内閣打倒に走ることでしょう。各政党もマスコミも世論も、共々もっと大人の見識を持つべきではないでしょうか。
 戦後、平和が壊されると大騒ぎになったことが3回あります。1つは、昭和26年9月、サンフランシスコ講和条約調印の際、全面講和でなければ真の平和は来ないという主張でした。2つ目は、昭和35年5月、日米新安保条約の国会採択における全国的な反対運動は、革命前夜とも言うべきすさまじさでありました。3つ目は、昭和47年5月、沖縄本土復帰の際、米軍基地返還がなければ日本復帰をやめるべきだとの反対運動であります。それぞれの結果がどうであったかは、はっきりと歴史が示すところであります。
 集団的自衛権は、個別的自衛権と表裏一体、独立国として当然の権利であり、かつ義務であります。敗戦国ドイツが第二次大戦後わずか10年で再軍備し、北大西洋条約機構(NATO)の一員として、欧州、北米の安全保障体制に加わり、集団的自衛権の行使によって、冷戦下の戦争抑止をなし遂げ、ヨーロッパから戦火を廃し、今日のEUにつながる発展となったことは記憶に新しいところであります。
 集団的自衛権は、本来、解釈憲法ではなく、憲法改正によって正々堂々明記すべきことと私は考えております。
 長くなりましたが、以上の賛成討論によって満場の各会派各議員諸兄が一人でも多く本意見書案にご理解とご賛同をいただきたく、心からお願いを申し上げるものであります。
 ご清聴まことにありがとうございました。

相沢みつや連合後援会 事務所 連絡先